日本は超高齢化社会を迎え
昨今では、終活、エンディングノートと言った言葉が取り沙汰されるようになりました。
私が初めてエンディングノートという言葉を知ったのは、経済ジャーナリストである金子哲雄さんの「僕の死に方エンディングダイアリー500日」という著書でした。
肺カルチノイドという難病で41歳の若さで急逝した金子さんは、亡くなる直前まで周囲には病気を隠して仕事を続け、自ら自分の葬儀の出席者のリスト、流す音楽、食事、会葬礼状に至るまでプロデュースしました。
大きな発作で死を直感した彼は、亡くなるまでの1か月で、病気が発覚してからの葛藤、死の恐怖を乗り越え、仕事を続けながら死の準備を整え、最後まで必死に生きた記録を書き上げたのです。
この本は、「僕の死に方」というタイトルだったが、まさに経済ジャーナリストとして最後まで情報を発信し続けたいという金子さんの生きざまそのものが綴られていました。
私は、この本を読んで、どう死ぬかということは、まさに日々どう生きるかということなのだということを痛感し、悔いのないように生きることの大切さを改めて実感させられました。
私には、この金子さんの生き方を彷彿とさせるような、死に直面しながらもどう生きるかということを教えて下さった忘れられない出逢いがあります。
Mさんとの出会いは、保健所の母親教室でした。お互いに初めての出産を経験し、子育ての悩みや不安を共有してきた大切な友人です。
そんなMさんのご主人は、学生時代サッカーをやっていたスポーツマン。
仕事の傍ら、毎週日曜日には、地域のサッカークラブのコーチとして、猪名川のグラウンドで、子どもたちと一緒にサッカーボールを追いかけて走り回り、いつも真っ黒に日焼けされていました。
そんなご主人が末期のガンだとわかったのは、5年前のことだでした。
ご主人は、今までどおりの生活を続けたいと、抗がん剤治療は受けずに、別の治療方法を選択されました。
そして、体調の許す限り、仕事に行き、サッカーの指導にも行くという今までどおりの日々を送られていました。
医師には余命6カ月と宣告されながらも、そんな生活を続けて1年4カ月あまりたったある日、ご主人が、入団時から7年間指導してきた子供たちが小学校を卒業し、卒団式を迎えることになりました。
ご主人は、子どもたちのために、入団から卒団までの子どもたちの練習の出欠から全試合の結果や得点までの経過の説明とひとりひとりに向けたメッセージを分厚いファイルにまとめるという目標を立てました。そして、長い時間をかけてそれを作り上げられました。
その頃には、病状もかなり進行していて、Mさんは、ご主人が長時間に及ぶ卒団式に耐えられるか心配していました。
でも、卒団式であいさつに立ったご主人は、子どもたちひとりひとりにそのファイルを手渡すことができ、とっても満足そうな笑顔でした。
ご主人が静かに旅立って行かれたのは、その1か月後のことでした。
葬儀が終わり、火葬場に向かう途中、ご主人の思い出の場所である猪名川のグラウンドを通って行くことになりました。
ご主人を乗せた車が猪名川のグラウンドにまっすぐ向かったその時、Mさんの目に、ご主人が指導してきたサッカークラブの子どもたち、その父兄、コーチたちが、猪名川の土手の上にズラーッと並んで、手を振ってご主人を見送っている姿が飛び込んできたのです。
ご主人が亡くなられてから気丈にふるまってきたMさんも、あまりの感動に号泣してしまった、映画のワンシーンのようだったと後で話してくれました。
心温まるその思い出は、ご主人からの最後のプレゼントでした。
今でも、時々、ご主人が指導した子どもたちが、近況報告にMさんの家を訪れてくれるそうです。
最後まで精一杯生きたご主人の姿は、今もMさんや息子さんたちだけでなく、ご主人が指導してきたサッカークラブの子どもたちをも支え、励ましているのです。