4月27日(木)の11時30分から、毎月恒例のランチ会をいしばし寺子屋にて開催します💕
今回は春をテーマにしたメニューをご用意しますよ〜🌸
どなたでもお気軽にご参加頂けますので、気になる方はお電話かコメントにてお問い合わせください😊
移動支援従業者、同行援護従業者の養成研修を受けてきました✨
2月25日(土)に、フォレストガーデン(箕面)にてこもれびクリエイト教室を開
催致しました✨
最初に、こもれび相談室の活動内容と介護保険の改正についてお話させていただきました😊
次に、アエレの柔道整復師の河合先生から外反母趾・うき指など足裏のバランスが崩れると体がゆがんで、体の痛み等さまざまな症状が起こるというお話をお聞きして、
パーソナルトレーナー根津先生のご指導によって健美操という心と体を調える体操を体験❗️
最後に、河合先生にひとりひとり足裏バランスをテーピングで整えて頂いて、その気
持ちよさにご参加の皆様はびっくりされていました💡
たくさんの方にご参加いただき、皆様に大変よかった!と喜んでいただけて、ほんと
によかったです😄
バァちゃん(義母)との初めての出逢いは、主人の実家にご挨拶に行ったときでした。
同居しはじめてから、28年あまり。
笑いあり、涙ありのバァちゃんとの日々をこれから綴っていきたいと思っています。
私は4年前に、主人を癌で亡くしました。
私はまだ50代で、主人は還暦を迎えた所で、
これからゆっくり旅行もできるねって話していた時でしたので、本当に辛かったです。
でも、同居している90才を超えたバァちゃんが、少しずつ認知症が出はじめていたので、
悲しんでいる間もありませんでした。
その後も、実母の死、それに伴う残された父のお世話、姉の死と続き、
極めつけに、なんと父と交通事故に巻き込まれ、2人共3ヶ月の入院を余儀なくされました。
その後もいろいろとあり、只今、バァちゃんは95才で施設でお世話になっております。
元気な頃にはあんなに嫌っていた施設でしたが、今はすっかり落ち着き、
昨日も着替えを持って行った帰り際に
「私みたいに幸せ者はいてへんで!!」
と私の手を握りながら、
「あんたも私の世話で大変やな。体に気を付けなあかんで。
どんな時も自分が不幸やと思たらあかん。
何でもええから、嬉しいこと、楽しいことみつけて、
幸せやなぁと無理してでも口に出して言うてみるねん。
ほんなら、心がホッコリ温ってきて、まわりの人にも優しくなれるで。
そんな自分のことが好きになれるし、ストレスなんか飛んで行け!!やわ。」
って笑って送ってくれるバァちゃんが、ありがたく、いとおしく、
なかなか帰ることができませんでした。
週に2回程通っているのですが、その度にまるで寂聴さんのお説法のような言葉を
ポンポンと流れるように話してくれるのです。
私がひとりじめするのはなんだかもったいないなあと思っていたので、
時々ブログで紹介させて頂きたいと思います。
それに、大正生まれにしては自由で、個性的でおもしろいバァちゃんとの笑える出来事も
織り交ぜたいと思います。
バァちゃん曰く、「人生笑いがないとアカン」らしいです。
平成29年1月18日、ウェスティンホテルで行われた吉田沙保里選手と栄和人監督の講演会に行ってきました。
なんと、1000人以上の方が詰めかけて、会場は大盛況👏
最初に、平成28年8月28日に放映された吉田沙保里選手を特集した「情熱大陸」が流れました。番組では、リオオリンピック前後の200日間の吉田選手に密着。
番組冒頭、リオオリンピックの決勝戦で敗れてマットに伏せて号泣する吉田選手の姿が・・・
千代の富士親方など、多くの方と金メダルをとると約束していたのに、その約束を果たせなくてごめんなさいという気持ちだったと、あとで涙の理由を説明していました。
でも、リオではレスリングの後輩たちが4つも金メダルを獲得するという快進撃
リオで同室だった登坂選手は、自分が泣いていたら喜べないからとすぐに気持ちを切り替えて気丈にふるまっていた吉田選手の気遣いに感謝していました。
印象的だったのは、「やっぱり金メダルを獲った人を見ると金はいいなと思います。でも、その後ろには銀とか銅とか、それ以外の入賞者がいて、その人達のことって勝った時はあまり考えたことがなかったので。戦える人がいるから順位も付くし競い合える。負けた気持ちが本当によくわかった大会。よいオリンピックでした。出てよかったです。」と淡々と語った吉田選手の姿でした。
講演会は、司会の方が進行するトークセッションの形で行われました。
試合に負けても、すぐ気持ちの切り替えができるという吉田選手。
対照的に、栄監督は、1983年、全日本選手権で初優勝したもかかわらず、ロサンゼルスオリンピックの国内予選で敗退し、代表に選ばれなかったとき、2か月間引きこもったという話をしていました。
栄監督が引きこもりから脱出するきっかけになったのは、2カ月ぶりに実家にかけた1本の電話だったとか。
試合に負けてから2カ月間音信不通の息子を心配するご両親の思いにふと気が付いた監督だったのでした。
吉田選手の最大の挫折は、2008年のワールドカップ団体戦で、それまで公式戦119連勝だったのに判定負けしたときだったそうです。
完全に自信を失った吉田選手に立ち直りのきっかけを与えてくれたのは、
「これまであなたに負けた人たちも、同じように悔しい思いをしてきたのよ。」
というお母さんの言葉。
それから、吉田選手は、その悔しさを忘れずに、栄監督と徹底的に練習を行い、みごと、半年後の北京オリンピックで金メダルを獲得したのです。
失敗はプラスになる。負けたこともプラスになるという吉田選手の言葉は、そんな挫折を乗り越えて勝利を勝ち取っただけに、強く心に響きました。
「僕のタックルを受けてください!」という小学生の男の子の希望にも快く応じてくれた吉田選手。
最後に今まで獲得した金メダルを披露🏅してださって、終始笑いのたえないなごやかな会でした。